超厳選怖い話ランキング:つきまとう女【中編】
つきまとう女【前編】つきまとう女【後編】

August 09, 2013

つきまとう女【中編】


駅前広場のベンチに座り、虚空を眺めていた。 
過酷な環境に耐えかねた俺は、もう考える事も放棄していた。 
ひたすら俺は、一週間前に出会った若い男を待っていた。 
タバコに火を点ける音がする。いつの間にか、彼が俺の隣に座っていた。 
「前に会った時より酷くなってるね、お兄さん。もう限界でしょ?」
若い男は俯きながら、地面に向かって煙を吐いた。 
「本当に助けてくれるのか?」 
俺はすがる思いで尋ねた。 
「まぁ、やれるだけのことはやりたいね。 
 このままお兄さん放置してると、死んじまうのは眼に見えてるし。
 それを分かってて死なしちまったら目覚めが悪い」 
「何をする気だ?」
「まぁ、付いて来なよ」
そう言うと若い男は、駐車してあった車に俺を乗せた。 

暫く車を走らせ、ビルの中に入る。その中に、若い男の事務所があるそうだ。 
『○△×探偵事務所』と書かれたビルの一室。ここが若い男の事務所。 
「探偵?」
俺がそう呟くと、若い男は「本業はね」と答えた。 
事務所の扉を開けると、中には誰も居ない。
「あぁ、今はみんな出払ってるよ。多分、社長は居ると思うんだけどね」 
「俺は金なんか持ってないぞ」
「ん~、うちの社長、金にはうるさいけど、根は良い人だし、多分大丈夫」 
そう言うと若い男は、奥の『社長室』と書かれた扉の前に進む。 
軽く2回ほどノックをすると、中から「どうぞ」と言う返事がした。 
扉を開けるとそこには、如何にもキャリアウーマンといった風貌の女が居た。 
この女が社長だ。

女社長は、俺の顔を見るなり舌打ちをした。 
「また、ろくでもない奴を連れて来やがって…」 
小声だったが確かにそう言った。あからさまに俺は歓迎されていない様子だった。
「社長、いや、その、あの、えとー、そのー」 
若い男がしどろもどろになる。女社長は若い男を睨み付けると、書類を机に叩きつけた。
「あんたねぇ!うちは慈善事業で商売やってんじゃないのよ!! 
 こんな金もない奴連れてきて、どうやっておまんま食ってくんだよ!!」
まさに男勝りな怒号だ。
「いや、でも社長わかるでしょ!?この人このままだと死んじゃいますよ!?」 
「この馬鹿!!お人好しもいい加減にしろ!!」
うなだれる若い男。どうやらこいつは、本気で俺を助けたいと思ってくれているらしい。 
有難い話だが、俺は人に迷惑をかけてまで助けを請うつもりは無かった。 
踵を返し、俺は事務所を後にしようとした。
すると女社長が俺を呼び止めた。 
「待ちなさいよ、若年性浮浪者モドキ。 
 こいつの言うように、あんたはこのままだと死ぬよ。 
 どうするつもりだい?」
「さっきから、何で俺が死ぬってはっきり言えるんですか? 
 なんか確信する様な事でもあるんですか? 
 俺は確かに追い詰められています。 
 でも、あなたの言う様に金はありません。 
 この若い人に迷惑かけるつもりもないし、俺は出て行きます」
女社長がタバコに火を点け、煙を吐き出す。
「人に迷惑をかけたくないってのは良い心得だ。 
 それならそれで、人の役に立ってみる気はないかい?」 
「どういうことですか?」 
「手は有るって言っているのさ」 

「ま、まさか社長…」
若い男の顔が青ざめる。 
「さっきあんたは私に、『なんの確証があって、自分が死ぬなんて言っているのか』と尋ねたわね」
俺は頷く。
「あんた、どうやら厄介なのに取り憑かれているのよ。 
 あんた、首吊っている、薄汚いワンピースの女に心当たりあるでしょ?」
俺は驚いた。その女の事を、今まで誰にも話したことは無い。
「ふふ~ん。驚いているわねぇ。 
 まぁ、私も本業は探偵なのだけど、副業で霊能関係の仕事もしているのよ。 
 それにしても、良い~顔で驚くわねぇ。ふふ~ん。好きよ、そういう顔」
俺は考えた。本業が探偵で副業が霊能力者?なんて怪しさなのだ。ここに居て良いのか俺は?
でも、あのキチガイ女の事を言い当てた。それも事実だ。 
だが、あのキチガイ女は霊なのか?俺の錯覚ではないのか? 
「さっき言っていた良い方法って…?」
女社長は苦笑いをする。 
「誰も良い方法なんて言ってないでしょ?ただ手は有るって言ったのさ」 
「じゃあ、その手というのは?」 
「私に除霊を頼むのであれば、最低でも200万はかかる。あんたには、そんな金はない。 
 でも、そこの若いのがやるなら話は別よ。 
 そいつは霊能者としてはペーペーもいい所。 
 だから、そいつの現場実習もかねて除霊をさせてもらうなら…お金はかからない。 
 逆にこちらから礼金を払う。ただし、身の保証の類は一切無いけどね」

そう言うと女社長は、微笑みながらタバコを揉み消した。 
それを聞いた若い男は、頭を抱えて天を仰ぐと、「オーマイガー…」とだけ呟いた。 

「いや、社長。俺どうすれば良いんすか?」
若い男の問いかけに女社長は、「はぁ!?」と言い、不機嫌な態度を示す。
「今からクライアントと問診! 
 その後に除霊方法を検討し、計画書を書き上げ、明日までに私に提出!!分かったか!?」 
「は、はい!!いや、でも、あの、その…」 
「いいからさっさと状況を開始しろ。ボケナス!!」 

女社長に激高され、追い出されるように俺たちは事務所を飛び出た。 
その後、俺たちは喫茶店の中に入る。 
「良い店でしょ?ここ社長の店なんですよ」
若い男はそう言うと、慣れた態度で席に座る。 
席は個室のようになっていて、周りに会話は届かない。 

コーヒーを二人分注文し、若い男はノートPCを広げた。 
「じゃあ、お兄さん。これから問診を始めます。用意は良いですか?」 
「気になる事があるんだが…」 
「なんです?」 
「君はさっきまでタメ口だったのに、急に敬語で話すようになった。なんでだい?」 
「お兄さんが、俺の正式なクライアントになったからです。 
 本当は社長にやってもらいたかったけど、仕方ありません。 
 俺が現場実習としてお兄さんの除霊をするなら、会社から人材育成費として予算が出ます。 
 お兄さんにも、礼金として2万円支払われます。
 ある意味、金銭的にはこれが最善の方法です。 
 ただ、俺も本当にペーペーなので、身の保証の類は一切出来ません。
 でも全力でやります。下手に手を抜けば、俺も死にますから」
そう言うとジョンは、優しく微笑んだ。 
「言いたいことはなんとなく分かった。ただ、俺は霊とかそんなことには疎い。 
 正直、今回のキチガイ女の事も、俺の精神疾患による幻か錯覚だと思っていたんだ。 
 だから急に霊とか、そんな事を言われても戸惑う」 

「なるほど。じゃあ、少し霊に関して説明します。信じるも信じないも、お兄さんの自由です」
俺は小さく頷いた。と同時に、少し悲しい気分になった。 
俺はほんの少し前まで、普通のサラリーマンだった。 
それが今じゃ霊だのなんだのと、怪しいことに関わっている。

「先ず、俺たちがクライアントに霊の事を説明するとき、PCを例えに用います」 
「PC?」
「そう、PCです。今のお兄さんの状態は、ウイルスに侵されたPCです。 
 PCとはお兄さん。ウイルスとは悪霊。つまり、お兄さんの言うキチガイ女の事です」 
「また、新しい例えだな」
「悪霊が取り憑く。よく聞くフレーズだと思います。 
 では具体的に、人間のどこに取り憑くのか分かりますか?」
俺は黙ってコーヒーに口をつける。 
「脳です。悪霊は人間の脳にハッキングすることで取り憑きます。 
 そして、脳の中に自分というウイルスを根付かせ、脳を支配することで、
 その人間の内側から幻覚や錯覚を起こし、精神や肉体を破壊していきます。 
 個人の脳内での出来事なので、他人には認識する事が難しいです。 
 一般的な霊であるならば、人間が生まれつき持っているファイアーウォール=守護霊を突破することは出来ません。
 しかし稀に、強力なハッキング能力を持った悪霊も居ます。 
 俺たち霊能者は、ウイルス=悪霊と同様に、人の脳内に侵入することが出来ます。 
 霊能力=ハッキング能力です。
 俺たちの仕事は、悪霊=ウイルスに侵された人間の脳に侵入し、駆除=除霊することです」
何がなんだか訳が分からない。 
もしかして俺は、関わっちゃいけない世界に足を踏み入れたのか? 
そんな気持ちでいっぱいだった。

「ここまでで何か質問はありますか?」
若い男はそう言いながら、ノートPCに何かを打ち込んでいた。
「何故その悪霊と言うのは、俺に取り憑いたんだ?俺には何の因縁もない女のはずだ」
若い男はひたすらノートPCのキーボードを叩きながら、質問に答える。
「取り憑いたのは、たまたま、という表現が適切かもしれません」 
「たまたま?偶然ということか?」 
「はい。たまたま侵入しやすかった。多分それだけです。 
 本当の目的は、誰でも良いから自分の中に取り込むことだと思います。 
 悪霊は生きた人間を殺して、取り込むことで勢力を拡大させます。 
 お兄さんをベースに、更なるグレードアップを狙っているのでしょう」 
「何のために?」
「恐らく、孤独の穴埋め。もしくは、恨みの穴埋め。或いは両方。といったところでしょうか。 
 そんな事をしても無意味なんですけどね。むしろ逆効果です。 
 彼女の穴埋めは、永遠に叶わないです」 
「随分自分勝手な、テロリストのような理由だな…。
 もう一つ疑問がある。君は…」 
「ジョンでいいです」
「ジョン?」 
「仲間内ではそう呼ばれています。本名が言い辛い名前なので」
ジョンか…。昔、うちで飼っていた犬と同じ名前だ。 
「じゃあ、ジョン。さっき君は、社長に俺の除霊を言い渡された時に、頭を抱えて『オーマイガー』と呟いたな。
 それと、『下手に手を抜けば自分も死ぬ』と言った。
 それについて説明が欲しい」 

「あ、聞こえていたんですか?まぁ、なんと言いますか。 
 正直に言うと、俺の手に負える相手じゃないと思ったんです」 
「手に負えない?」 
「お兄さん、心当たりがありませんか?医者、警察官、看護師の3人の男」
俺は驚いた。こいつら何故そんな事が分かるんだ。
「心当たりは…ある」 
「そいつらは、お兄さんの言うキチガイ女が、今まで殺してきた人間です。 
 今は完全に彼女に取り込まれて、彼らが彼女のファイアーウォールになっているんです」 
「殺してきた?」
「そうです。今のお兄さんと同様に取り憑き、苦しめた挙句に殺しました。 
 中でも医者との繋がりが強い。恐らく最初の被害者であり、親子だったのかもしれません」
俺は北海道での出来事を思い出していた。 
「俺には手に負えないというのは、その3人が理由です。 
 社長はお兄さんを見た瞬間に、キチガイ女の姿が見える所まで侵入しました。 
 でも俺には、未だに女の姿が見えない。 
 ファイアーウォールである3人を見る所までしか侵入できません」
北海道で見た幻。あの病院内で出会ったあの3人も、あの女に殺されているだと?
「仮に強引に彼らを突破しようとしても、彼ら3人に足止めを食らうでしょう。 
 その隙に女が俺の中に逆侵入し、今のお兄さん同様、俺にも取り憑くでしょう。 
 恐らくそうなれば、俺の命も危ない」
じゃああの時、医者が言った言葉の意味は?奈々子?あの女の名前か?
「方法は考えます。俺もこの商売に命懸けていますから」 
社会的に抹殺?私には無理なんだ?孤独を共有? 
俺はいっぺんに不可思議な情報を得てしまった為か、頭が混乱していた。

「お兄さん?どうかしましたか?」 
ジョンの言葉に我に返る。頭が混乱していた。
「なあ、ジョン。仮にこのまま何もせずに放置していたら、俺はどうなる?」
ジョンのノートPCを打つ手が止まる。
「死にますね。事故死、病死、自殺…。 
 俺は預言者じゃないので、その先の死因までは分かりませんが。
 キチガイ女は、今まで3人も殺めている。 
 非常に危険な女です。殺される可能性は極めて高い…」 
俺は頭を抱えた。気が狂いそうだ。
「ジョン…俺が今までにあの女を見たのは2回だ。その時の話をする」 

俺はジョンに、北海道での出来事。それと、初めてジョンと出会った日の、夜の出来事を話した。 
ジョンは真剣な眼差しで俺の話を聞いていた。
話し終わった後のジョンの第一声は、「予想以上に厄介です」だった。
「そんなに厄介なのか?」 
「厄介です…。お兄さん、その病院の中で『これは現実じゃない』という違和感は覚えませんでしたか?」 
「違和感は無かった。今でもあれは現実のように感じる」
それを聞いたジョンの顔は、更に深刻な表情に変わる。
「そこまでリアルな病院を、お兄さんの脳に作り上げた。
 しかも、同時に3人をその場に出している。 
 これは女…奈々子ですか?
 そいつが、お兄さんの脳をかなり深い部分まで侵食していることと、完全に3人を掌握していることを示しています。
 相当ですよ、これは」
俺は言葉を失った。不意に底なし沼の深みに陥った気がした。
「お兄さん、正直な俺の感想を言います」 
「なんだ?」
「今まで良く生きていましたね」 

夜、俺とジョンはホテルの一室に居た。 
「良い部屋でしょ?ここ、社長の従兄弟が経営するホテルなんですよ」 
確かに良い部屋だった。地上20階に位置するこの部屋からは、キレイな夜景が見える。
「お兄さん、家族への連絡は済みました?」 
「ああ。何て説明したらいいか分からなかったけど、なんとか納得して貰ったよ」 
「事が済むまで申し訳ないですけど、お兄さんをここに監禁させてもらいます。 
 下手をすると、ご家族にも迷惑がかかりますので…」 
俺の家族は、母と姉の二人。父は3年前の秋に、心筋梗塞で死んだ。 
父が死んだ時、そばには誰も居なかった。気付いた時には、自宅で孤独死していた。 
俺にとって良い父親だった。俺は生涯で最も本気で泣いた。
残された体の弱い母を、俺が守らなくてはいけないのに、今の俺はこの様だ。 
本当に情けない。

「なぁ、ジョン。お前にも家族が居るんだろ?」
俺の質問に、ジョンは少し困った顔をした。 
「血の繋がった家族は居ません。俺、施設の出なんです。だから…」 
「そうなのか。なんか悪いこと聞いちまったかな」 
「いえ、俺には家族が居ます。社長や社員のみんなです。 
 俺は社長に拾われていなかったら、本当にろくでなしで人生を終えるところでした」
そう言うとジョンは優しく微笑んだ。 
「あの女社長、ヒステリックで怖そうな人だったけど、お前の言ったとおり根は良い人なんだな」 
「まあ、そうですね。普段はおっかないですけどね。あと…お兄さん」 
「ん?」 
「あの人、女じゃないですよ」 
「え?」 
「改造済みです」

暫く俺は夜景を眺めていた。こんなに落ち着いた環境は久しぶりだ。 
ジョンはひたすら、ノートPCで計画書を作成していた。
「なあ、ジョン」 
「なんですか?」 
「俺のような人間は他にも居るのか? 
 こんな風に、訳も分からず取り憑かれてしまう人間が、俺の他にも…」 
ジョンは静かに溜息をつく。
「多いですね。でも、お兄さんは運が良い部類に入ります。俺たちと出会いましたから。 
 多くの人は、何も出来ずにただ死ぬだけです。 
 最初にお兄さんが言ったように、自分がおかしいのだと思い込んで、大概の人は死にます」
ジョンはタバコに火を点け、煙を深く吸い込んだ。 
「近年の自殺者数は、年間3万人以上になります。一日に100人は自殺しているのです。 
 死因不明や行方不明を含めると、もっと居るのかもしれません。 
 社長は言っていました。『日本人の守護霊が年々弱くなっている』と。 
 その為、本当に小さな悪霊にも、簡単に取り憑かれてしまう人間が増えた。 
 勿論、全部が全部悪霊の仕業とは言えませんが、『これは本当に悲しいことなのだ』。そう言っていました」 
「守護霊…か。さっきも言ったが、俺は霊とかには疎い。守護霊ってのは、なんなんだ?」
ジョンはノートPCから手を放し、こちらに振り向いた。
「守護霊と悪霊…同じ霊という字で表現しますが、根本的には全く異なる存在です。 
 悪霊は、自分自身の感情と意志に依存し存在します。 
 逆に守護霊は、人間の温かい記憶に依存して存在します。 
 悪霊の強さは、自身の念の強さに左右され、
 守護霊の強さは、人の温かい記憶よって左右されます」 

「温かい記憶?それはなんだ?」 
「優しさですね。人は誰かに守ってもらったり、助けてもらって、優しさを身につけます。 
 助け合いの精神です。その精神が、守護霊の力になるのです」
やっぱり俺にはよく分からない。ただ、ジョンが真剣なのは分かる。
「それって何かの宗教か?」 
「いえ、社長の受け売りです。俺たちは宗教団体ではないです」 
ジョンの言うとおり、日本人の守護霊とやらが全体的に弱くなっているなら、
それは助け合いの精神の欠如が原因か…。 
確かに悲しいことではある。 
なら俺も、その助け合いの精神が無いが故に、こんなことになってしまったのか。
「お兄さんの守護霊は強いですよ」 
「なに?」 
「さっきも言いましたけど、お兄さんは本来、死んでいてもおかしくなかった。 
 それくらい強烈な奴に憑かれたんです。
 でも、お兄さんは死んでいない。守護霊が守ってくれているんですよ」 
「俺の守護霊って…?」
「お父さんですよ。お兄さんのお父さんが、お兄さんを守ってくれています。 
 ギリギリの勝負ですけどね。本当に良く頑張ってくれています。 
 お兄さんは、良い人に育ててもらったんですね」

それを聞くと、俺は黙って窓の外に広がるキレイな夜景を眺めた。 
キレイな夜景が、うっすらとぼやけて見えた。 

夕飯にジョンがスパゲティを差し出した。
「食って下さい。これから先、体力勝負になりますから」
ジョンには申し訳ないが、今の俺に食欲はなかった。
半分ほど手をつけて限界だった。
それを見てジョンは溜息をつく。

俺はこの先の不安で心を締め付けられていた。 
訳も分からないままに騒動に巻き込まれ、こうしている。 
納得がいかなかった。どうしてこんなことに俺は巻き込まれたのか。 
自問自答してもジョンに聞いても、俺の心は納得しなかった。 
窓の向こうに見える景色の中では、今も人々が移ろうように流れていく。
かつては俺もあの流れの中に居た。
あの日々に戻りたかった。 

思いふけっていた俺の耳に、窓の縁から何かが張り付くような音がした。 
音の方向に眼をやると、俺の瞳孔は一気に開いた。 
人の手が窓の向こう側に張り付いている。 
ここは地上20階。ベランダも無い。人が立てるような場所ではなかった。 
そんな場所に人の手がある。俺はジョンの名を叫んだ。 
その瞬間、ジョンは俺の前に立ちふさがり、「窓から離れてください!!」と叫んだ。 
ジョンは携帯を取ると、どこかに電話し始めた。 
俺は窓の手から視線を外せずにいた。 
「大丈夫です。俺が居ます。この部屋の中には入って来られません」
震える俺にジョンはそう言った。 
その時、ゆっくりと手の主が這いずるように動き出す。 
俺は手の主の顔を見た瞬間に、頭を打ち抜かれるような衝撃を食らい絶句した。 
手の主は俺だった。

窓の向こう側に俺がいた。どう見ても俺だった。 
俺の頭は完全に真っ白になった。 
どうして俺が窓の向こう側に張り付いているんだ。 
俺はここに居るのに、窓の向こう側にも俺は居る。俺の頭は完全に混乱した。 
「社長、俺です!ジョンです!マズイことになりました! 
 ドッペルゲンガーです!お兄さんのドッペルゲンガーが出ました!俺の眼にも見えます!! 
 今は窓の外に居ます!!はい!!御願いします!」 
ジョンの電話先は社長だった。何かを社長に御願いし、ジョンは携帯を切る。
「お兄さん、あいつに絶対に触れないで下さい!! 
 触れたら、俺でも社長でも、お兄さんの命を助けられない!!」
窓の向こう側のもう一人の俺は、激しく狂ったように窓を叩き始めた。 
その衝撃音が連鎖するように、部屋中から鳴り響く。
「開けろぉおお!!開けろぉぉおおおお!!」
俺が窓の外でそう叫んでいた。 
俺は縮こまりながら、心の中で『止めてくれ、もう止めてくれ!』と何度も叫んだ。 
ジョンは「速くしてくれ、速くしてくれ」と呟く。 
次の瞬間、ジョンの携帯が鳴り響く。 
携帯の着信音に、窓の向こう側の俺は驚いた表情を浮かべると、溶けるように消えていった。 
「なんだ!?あれはなんなんだ!?ジョン!?俺が居た!!俺が居たぞ!!!」
怒鳴る俺を無視して、ジョンは携帯で話をしている。 
「はい、消えました。有難う御座います。はい…はい…分かりました」
俺はもう何がなんだか訳が分からなかった。 

ジョンはソファに腰掛けると今起きた事態を説明しだした。

「非常にマズイです、お兄さん。
 窓の外に居たお兄さんは、あの女、奈々子が作り出した、お兄さんの分身です。
 あの分身に触れると、確実に死にます。 
 俗に言う、ドッペルゲンガーって奴です。 
 これは、女がお兄さんを本気で殺しに来た証拠です。 
 ドッペルゲンガーの殺傷能力は異常に高いんです。 
 多分あの女は、お兄さんをゆっくり苦しめてから殺すつもりだった。 
 その方が、お兄さんは強い悪霊として育ち、女にとって役に立つからです。 
 でも、俺たちが現れた。だから、早急に殺すことにしたんだと思います。 
 実を言うとお兄さんの中に、社長特製のファイアーウォールを仕込んどいたんです。 
 普通の悪霊なら、身動き一つ取れなくなるはずです。 
 それをあの女は軽々と突破し、お兄さんの分身を作り上げた。 
 更に悪い事に、俺はお兄さんの分身を見ようと思って、見た訳ではありません。あの女に強制的に見せられた。
 つまり俺も、いつの間にか女に侵入されていたんです。
 さっきのは、社長に御願いして払いました。今の俺にはあれを払う力はありません。 
 俺にとって何よりもショックなのは、
 夢の中ではなく現実の中で、女があそこまでリアルなお兄さんの分身を作り上げ、
 俺とお兄さんの中に、同時に具現化したことです。
 俺はその前触れに全く気付かなかった。 
 女が俺の遥か上の存在だという事を、心底思い知らされました」
呼吸を乱しながら、ジョンは悔しそうな表情でそう言った。 
俺の体は、未だに震えが止まらなかった。ジョンの話が、更に俺の恐怖心を煽る。 

俺はジョンに怒鳴った。
「じゃあ、どうするんだよ!?」 
ジョンは俯いた。 
「どうしよう…」 
そう言うとジョンは、頭を抱えて塞ぎ込んだ。 

地上20階に位置する豪華なホテルの一室。 
キレイなインテリアが並ぶこの部屋に、似つかわしくない二人の男。 
一人は恐怖で小刻みに震え、一人は頭を抱えて俯いている。 
俺とジョンだ。
俺たちは、敵の強大さに打ちのめされていた。 
俺の心は絶望感でいっぱいだった。逃げることだけを必死で考えていた。
「ジョン、サラ金でも闇金でも何でも良い…借金して200万揃える。
 だから、社長に俺の除霊を頼んでくれ…」
ジョンはタバコに火を点けると頭を横に振った。 
「無理です、お兄さん。社長は、一度言ったことを絶対に曲げません。 
 俺に除霊をやらすと言ったからには、例え俺が死んでも、お兄さんが死んでも、社長は手を出しません」
俺はテーブルに拳を叩きつけた。 
「ふざけるな!!俺の命が懸かっているんだぞ!!!」 
「お兄さん」 
「お前だって、あの女には勝てないって言ったじゃないか!!!」 
「お兄さん」 
「200万で足りないなら300万だって用意する!!だから俺を助けてくれ!!!」 
「お兄さんっ!!!!」 
ジョンは声を荒げて立ち上がった。
「俺を…信じてください」 

「お前を…信じる…?」 
ジョンは真剣な眼差しで俺を見つめる。その鋭い眼光に俺は戸惑った。
「俺はお兄さんを守ります。お兄さんは俺が絶対に助けます。 
 だから、俺を信じてください。俺はお兄さんを守る為に命を懸けます。 
 例え、俺が死んでも…絶対にお兄さんは俺が助けます」 
俺は困惑した。こいつ、何でそこまで言えるんだ? 
「そこまでお前が、俺を守りたい理由はなんだ?お前だって危ないんだぞ?」
ジョンは黙り込むと深く溜息をついた。
「俺たちが除霊をする時、対象者の守護霊の力を借ります。 
 つまりお兄さんの親父さんです。 
 お兄さんの親父さんと沢山話をしました。 
 ジョンって名前…、お兄さんの家で、昔飼っていた犬と同じ名前なんですね。 
 親父さん、笑っていました。
 俺は未熟だから、お兄さんの親父さんと話しているうちに、親父さんに感化されてしまったのかもしれません。 
 今では…お兄さんが、俺の本当の兄貴のように思えるんです…」 
「お前…」 
「親父さんのお兄さんを守りたいという気持ちは本物です。 
 親父さんは死ぬ寸前に、お兄さんや娘さん、それに奥さんのことを思っていました。 
 『すまない』。そういう気持ちでいっぱいだったんです。 
 だからこそ今でも親父さんは、お兄さんたちを必死で守っているんです。 
 俺はその気持ちに応えたい」
それを聞いた俺は足元から崩れ落ち、その場に跪いた。 
ジョンが俺の肩を掴む。 
「俺を…信じてください」 
俺の肩を掴むジョンの手は、温かった。

深夜、俺は眠れずにいた。少しでも油断することが怖かった。
「ジョン、俺の親父は大丈夫なのか?あんな女と戦っているんだろ?」
ジョンはノートPCのキーボードを叩きながら答える。 
「女はお兄さんだけでなく、お兄さんの家族にも侵入しようとしています。 
 だから、お兄さんの守護は俺に任せてもらって、親父さんにはそちらの守護に専念してもらっています」
俺は頭を抱えた。 
「なんてこった…。あの女、俺の家族にまで…」 
「大丈夫です。親父さんが守ってくれます」 
俺はコップの水を飲んだ。 
「なあ、ジョン。俺の守護霊が親父だってのは、なんとなく分かった。
 でも、お前の守護霊は居ないのか?
 ほら…、お前、身内が居ないって言っていたし…」 
「居ますよ。俺の守護霊は社長です」
「はあ?お前、社長は生きているだろ?」
「守護霊も悪霊も、生きているか死んでいるかは関係ありません。 
 一言に霊と言うと、死んだ人を想像するかもしれませんが、違います。 
 さっきも言いましたが、
 悪霊は自身の感情や意志に依存して存在し、守護霊は温かい記憶に依存して存在します。 
 俺の中で社長の温かい記憶がある。
 だから俺の中で社長が形成され、俺の守護霊として存在しています。 
 これは俺だけじゃなく、普通の人も同じです」 
俺はコップの中の水を見つめた。 
こいつに出会ってから、不可思議なことばかりを聞かされる。

不意にチャイムの音が部屋に鳴り響く。俺は驚いてソファから滑り落ちた。
「こんな時間に誰だろう?」
ジョンが立ち上がり、玄関口に向かう。
「おい、大丈夫なのか!?あの女じゃないのか!?」
ジョンは微笑みながら、「大丈夫ですよ」と答えた。 
玄関を開けると、そこには社長が居た。 
社長は部屋の中に入るとソファに座り、タバコに火を点ける。
「調子はどうかしら?若年性浮浪者モドキ君…」
じゃ…若年性浮浪者モドキ君…。なんだか、この人に勝てる気が全くしない。 
ジョンがグラスにワインを注ぎ、社長に差し出す。
「こんな深夜に、どういった御用件ですか、社長?」 
「ああ、あんたがメールで送ってきた計画書ね…、読んだわ。筋は悪くないわね」 
「有難う御座います」 
「でも、決定的な勘違いをしているわ」 
「勘違い?」
ジョンの表情が曇る。 
「まあ、仕方ないわ。私もそれに気付いたのは、ついさっき。 
 お前が気付かないのも無理は無い」 
「どういうことですか?社長?」 
社長は灰皿にタバコの灰を落とす。 
緊迫した雰囲気が部屋に充満していた。

社長はワインの入ったグラスに口をつける。 
赤いワインの入ったグラスを、しなやかに扱う指の動きが印象的だった。
「先刻、この若年性浮浪者モドキ君の、ドッペルゲンガーが現れたわね」 
「はい。俺も強制的に見せられました。俺も侵入されていたんです」
ジョンは悔しそうな表情を浮かべる。
「私はお前の現場実習開始当初に、安全装置として、若年性浮浪者モドキ君に予め防壁を仕込んどいた。
 万が一を考慮してだ。
 だが、それは突破され、あまつさえ奴はドッペルゲンガー作り出した。 
 私の見立てでは、あの薄汚い女にそんな力は無かったはず。 
 違和感を覚えないか、ジョン?」 
「確かに俺も驚きました。まさか社長のファイアーウォールが破られるなんて… 
 でも、違和感と言うのはなんですか?何かあるんですか?」
社長は深くタバコを吸い込んだ。 
「あの薄汚い女は、中心ではあるが本丸ではない。ということだ。 
 私ですらさっきまで気付かなかったほどに、本丸は深いところに居る。 
 恐らくそいつは、死人ではなく生き人の可能性が高い。 
 しかも、かなりの腕前の持ち主だ。こいつは予想以上に根の深い問題だな」 
俺は黙って話を聞いていた。なんだか、話がとんでもない方向に向かっている。
「そっちの本丸の方は私に任せろ。 
 こいつは、若年性浮浪者モドキ君の依頼の範疇を越えている。 
 タダ働きでやるのは嫌だが、仕方あるまい。放置するにしては危険すぎる。 
 ただし、薄汚い女並びに3人の男は、ジョン、お前が責任をもって除霊しろ。 
 いいか?浄霊しようとしなくていい。除霊することに専念しろ。 
 分かったか、ジョン?」
社長はそう言うと、グラスの中のワインをしなやかな手つきで飲み干した。 

社長が部屋から退室し、再び俺とジョンの二人きりになる。 
去り際に社長がこんなことを言った。
「この件が終わったら、父親の墓参りに行けよ。寂しがっているぞ。 
 あと、寝ろ。眼の下のクマが酷いぞ」
そういえばここ最近、あまりにも色んなことが起きて、ろくに親父の墓参りにも行ってなかった。 
この騒動から無事に生きて帰れたら、親父の墓参りに行こう。俺はそう思った。 

俺はソファに座り、惚けていた。なんだか、とても疲れた。 
眠ることが怖かったが、睡魔には勝てなかった。 
俺はいつしか眠りに落ちていた。 

気が付くと俺は、どこかのビルの屋上に立っていた。
「ここは?」 
深夜のビルの屋上に冷たい風が吹く。
「ジョン!?おい、ジョン!?」 
大声でジョンに問いかけるも、返事は返ってこなかった。 
俺は辺りを見渡すと、視界の端に何か居ることに気付いた。 
その瞬間、頭に殴られたような強い衝撃が走る。俺は力なく、その場に崩れ落ちた。 
地面に倒れた俺を、見たことの無い巨躯の男が見下ろしていた。
「なんだ…お前…?」 
男はしゃがみこむと、俺の髪を掴んだ。 
「悪足掻きするなよ。どうして素直に死なない?」 
男の後方にキチガイ女と医者、警察官、看護師の姿が見える。 
俺の全身の血が沸騰した。 

『私ですらさっきまで気付かなかったほどに、本丸は深いところに居る』
俺は社長の言葉を思い出していた。 
こいつがそうだ。俺は直感的にそう思った。 
「テメェかぁ!!!テメェが俺を!!」 
男が俺の頭を地面に叩きつける。俺は頭に生温いものを感じた。 
それでも俺は男を睨みつける。 
許せなかった。どうしても俺をこの騒動に巻き込んだ、この男が許せなかった。
「テメェだけは…テメェだけは絶対に許さねぇ!」
男の表情が暗く曇る。 
「お前が俺を許す、許さないじゃない。俺がお前を殺すか、殺さないかだ。 
 厄介なオカマも引き込んでくれたし、いい加減、俺も頭にきた。切れそうだよ。 
 お前の家族もくれなきゃ、妹も納得しないそうだ。
 素直に死んどけば良かったのに、困ったことしてくれたな」 
男は歯軋りしながら、そう言った。俺は男の胸倉を掴んだ。
「家族に手を出すことだけは絶対に許さねぇ!!」 
男は俺の腕を払いのける。 
「お前の父親も同じことを言っていたな。親子揃ってしぶといにも程がある。 
 もういい。俺も本気でお前が殺したい」
俺の後方から足音が聞こえる。 
振り返るとそこには俺が居た。ドッペルゲンガーだ。 
『お兄さん、あいつに絶対に触れないで下さい!! 
 触れたら俺でも社長でも、お兄さんの命を助けられない!!』
俺は全力で走った。 

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great_com1000 at 18:32│Comments(0)厳選★怖い話2009 

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